そのとき話の流れで「最近はバンドでも芝居でも個性ある人を捜している」みたいな話になって、その時に姉が言ったのが

「他人に探してもらって見つかるようなものは、個性じゃないからね」
「個性って、踏んでも叩いても出てくるのが個性だから」
「これがあなたの個性ですね〜つって伸ばしてもらうようなものは個性じゃない」

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すばらしい。

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養老先生によれば、ヨーロッパにゆくと、どこの街でもいちばん豪奢なのは教会と劇場だそうである。
「そこが嘘が語られるところだから」だ、というのが養老先生のご意見である。
現在のCMでも用いられている、『メッセージ開始後3秒間にジングル音などで人の気をひきつけ、その後本題を流す』という技法はゲッベルスが開発した。
これらのキャラクターを最初にこの記事でいうところのモヒカン族に結びつけたのは『otsune』というハンドルをもつ人物であった。

「普通の会社でみられるのはこういうことだ。コンセプトカーを知ってるだろう?とってもクールだ。でも4年後に実際に生産されたものを見るとコイツはサイテーだ。いったい何が起きたのか。確かにいいコンセプトカーだった。間違いなくそれを手中にしていたんだ。ところが、すんでのところで勝利を逃がしたというわけだ。」

「何が起きたかというと、まずデザイナーに素晴らしいアイデアがひらめいた。それをエンジニアに持っていくと、『ダメだ。我々には出来ない。不可能だ』といわれる。ひどいことになる。そこで今度は製造部門に持ち込む。すると『それは作れない』というわけだ。どんどんひどくなる。」

コンセプトモデルに対する Jobs の不信が明確に語られている。勝負すべきは実際に出荷される製品なのだ。

「CMを見せるための放送」ならいいのだが、「番組そのものがCM」なのを隠してやるのでタチが悪い。とりあえずわたしの店ではなんとなくテレビをつけ流しておくことが多いのだが、先日も、「サラ金などの借金で苦しむ人」をとりあげる番組の一コーナーがあったが、そういう人を本当に取り上げたのは最初の十数秒だけ、あっと言う間に「そういう人を救うために奮闘する弁護士事務所」がメインになってしまった。結局、ここ最近そういう「過払いの相談に弁護士事務所を」というCMを見かけるが、それと同じ類のものだった。おそらく、そういう意図でなければ番組製作協力してくれなかったのだろうが。雑誌で言えば「企画広告」と上に振ってある記事だけで番組を作っているようなものだが、テレビではそれを断らないものだからタチが悪い。

もう一度人生をやり直せるなら・・・・

今度はもっと間違いをおかそう。

もっとくつろぎ、もっと肩の力を抜こう。

絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。

この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。

もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。

もっとたくさんのチャンスをつかみ、行ったことのない場所にももっともっとたくさん行こう。

もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、豆はそんなに食べないでおこう。

もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。

もう一度最初から人生をやり直せるなら、春はもっと早くから裸足になり、秋はもっと遅くまで裸足でいよう。

もっとたくさん冒険をし、もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、もっとたくさんの夕日を見て、もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。

もう一度人生をやり直せるなら・・・・

だが、見ての通り、私はもうやり直しがきかない。

私たちは人生をあまりに厳格に考えすぎていないか?

自分に規制をひき、他人の目を気にして、起こりもしない未来を思い煩ってはクヨクヨ悩んだり、構えたり、落ち込んだり ・・・・

もっとリラックスしよう、もっとシンプルに生きよう、たまには馬鹿になったり、無鉄砲な事をして、人生に潤いや活気、情熱や楽しさを取り戻そう。

人生は完璧にはいかない、だからこそ、生きがいがある。

ほんとうに「思考する」というのは、「過去の自分の思考」や「他人の思考」に「逆らって」思考する、すなわち、新しい脳神経回路に通電し、新しい脳神経パターンを開墾することであって、単にすでに踏み固めた道をなぞることではない。
「サイバーパンク」を名乗ったりしないこと。そしてそう名乗っているヤツを相手にして時間を無駄にしてもいけません。
リアルでビビッドな情動シミュレーションができれば、セックスもオナニーもクオリティーがぐっと上がる。